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国家の品格について(1

2006115

宇佐美 保

 私は、藤原正彦氏(お茶の水女子大学理学部教授)の著作『天才の栄光と挫折(新潮選書)』を読んで(この本の出版前?に、同じ内容のNHKテレビの放映を見て)以来、藤原氏に心酔していました。

 

 そして、この度は24万部のベストセラーである氏の著作『国家の品格(新潮新書)』から、多くを学ばせて頂きました。

 

 氏は、その第3章で、「自由、平等、民主主義を疑う」との見解を披露されています

 先ずは、「自由」に関する、次のような見解です。

 

 いま自由を否定する人は世界中にいないでしょう。私は「自由という言葉は不要」と思っています。控えめに言っても、「自由」は積極的に賞揚すべき概念ではありません。

 日本の中世においては、自由というのはしばしば身勝手」と同じ意味で使われていました。『徒然草』においても、そのように使われていたと記憶しております。

 ・・・

 この「自由」という名の化け物のおかげで、日本古来の道徳や、日本人が長年のあいだ培ってきた伝統的な形というものが、傷つけられてしまいました。

人間にはそもそも自由がありません。それは当たり前のことです。生まれ落ちた瞬間から人間に自由はない。あんなに厚い六法全書があり、法律が網の目のように張り巡らされています。法律の他にも道徳とか倫理というものまであります。さらにどんな組織にも規則があり、そこでは協調が強いられています。我々の行動や言論は全面的に規制されているのです

・・・

 どうしても必要な自由は、権力を批判する自由だけです。それ以外の意味での自由は、この言葉もろとも廃棄してよい、廃棄した方が人類の幸福にとってよい、とさえ私には思えます。

 

 この氏の見解から、小泉首相の靖国神社参拝に関する発言を連想します。

 

 朝日新聞(1月4日)には次に記述があります。

 

 小泉首相は4日午前、首相官邸での年頭記者会見で、靖国神社参拝問題について・・・「精神の自由に政治が関与することを嫌う(日本の)言論人、知識人が批判することも理解できない。まして外国政府が心の問題にまで介入して、外交問題にしようとする姿勢も理解できない」と改めて自らの正当性を強調した。

 

 と、小泉氏は、自己の精神の自由(靖国参拝)の正当性を主張していますが、公人たる小泉首相には、藤原氏の見解を待つまでもなく、自由は当然制限されてしかるべきです。

 

 更に、藤原氏は次のようにも書かれています。

 

 自由と自由は正面衝突します。言論の自由はプライバシーを守る自由と衝突します。私の自由と他人の自由は常に衝突です。私が、好きな女性に接近する自由を行使すると、その女性は必ず私から遠ざかる自由を行使する、というのが私のこれまででした。自由と自由が衝突しなかったら、私は夢のような人生を送れたはずだったのです。

 

 この記述をもとに、小泉靖国神社参拝を解釈しますと、次のようになりましょう。

 

 小泉氏の靖国参拝に関して「小泉氏の心の問題の自由」を主張すれば、中国韓国も「心の問題の自由」から、小泉靖国神社参拝に対して反対するのも当然でしょう。

 

 小泉氏は、自己の靖国参拝を「心の問題」として、中国韓国側の反対を「外交の問題」と片付けていますが、中国韓国側から言えば、彼らの「心の問題」を小泉氏は「政治の問題」として処理していると思うことでしょう。

何しろ、小泉氏は、首相就任前には靖国参拝を殆どしたことがないのに、「首相選での公約である靖国参拝」を実行しているのですから。

 

 更に、「平等」に関しては、次のようにも記述されています。

 

 平等と平等も衝突です。平等な条件で競争すると弱肉強食となり、貧富の差が大きくなり、不平等となります。結果の平等ではなく機会の平等だ、という論が流行していますが、噴飯ものです。全大学生の親の中で、東大生の親の所得が最も多いことが証拠です。

 

 そして、次のようにも書かれています。

 

平等」の旗手アメリカこそは、企業経営者の平均年収が約十三億円で一般労働者のそれが約三百万円(二〇〇四年)の国なのです。三千五百万人もの人々が貧困のため医療さえ受けられない国なのです。

 

 このようなアメリカの日本国政府への米国政府要望書」(この件に関しては拙文《張り子のライオン》等をご参照ください)に日本政府の方針が決定付けられていて良いのでしょうか?

 

 そして、民主主義に関して、は次のような記述がありました。

 

 ・・・民主主義は素晴らしい、理想的なものと世界中の人々が思っております。・・・

 民主主義の根幹はもちろん国民主権です。主権在民です。・・・

 主権在民には大前提があります。それは「国民が成熟した判断をすることができる」ということです。この場合には、民主主義は文句なしに最高の政治形態です。

 

 そして、次のような記述もあります。

 

民主国家がヒットラーを生んだ

 第二次大戦だって同じです。ドイツがあっちこっちを侵略して、「全体主義国家だったから」なんて言われていますが、第一次大戦後、すなわちワイマール時代のドイツはきちんとした民主主義国家です。ワイマール憲法は主権在民、三権分立、議会制民主主義をうたった画期的なものでした。その民主的な選挙で一九三二年、ヒットラーのナチ党が第一党となったのです。

 

 更に、大事な事実を記述してくれています

 

 

・・・国民が時代とともに成熟していくなら問題はありません。昔の話は単なるエピソードとして片付けることができます。しかし、冷徹なる事実を言ってしまうと、

国民は永遠に成熟しない」のです

 このような事実をきちんと伝えないといけません。過去はもちろん、現在においても未来においても、国民は常に、世界中で未熟である。したがって、「成熟した判断が出来る国民」という民主主義の暗黙の前提は、永遠に成り立たない。民主主義にはどうしても大きな修正を加える必要があります。

 

 なのに、ブッシュ米国大統領も、小泉首相も、

「イラクは民主主義国家となったから、今回のイラク戦争は正当である」


と発言しています。

おかしくはありませんか?

 

 そして、国民は永遠に成熟しないという国民の支持を受け(?)首相の座に座りつけている小泉氏は、先の「郵政民営化問題」に引き続き、自民党の総裁選挙までも、この国民は永遠に成熟しない国民に委ねようとしています。

へんですよね〜〜〜!?

 

 議会民主主義というのは、この国民は永遠に成熟しないという国民の判断に対して、

「国会議員の判断」と言うワンクッション

が施されていることに意味があると私は考えています。

なのに、「国会議員の判断」を飛び越えて、国民は永遠に成熟しないという国民の判断に問う小泉首相は、やはりヒトラー2世と思わざるをえません。

 

 この「国民は永遠に成熟しないの根拠として次の点も上げられています。

 

 ・・・第一次大戦はなぜ起きたか。最初にオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子フェルディナンドがサラエボでセルビア人に暗殺された。これに大衆が熱狂した。ブダペストでは「セルビアの豚に死を」と人々が叫び、ウィーンでは新聞が「強盗と人殺しのセルビア」と書いた。セルビア政府の関与を示すいかなる証拠もなかったのに、です。

こうした世論に押されるように、暗殺事件の一ケ月後、オーストリア・ハンガリー帝国は、「局地戦で収められる」との判断でセルビア政府に宣戦布告した。

 ところがこれにロシアが怒り、それに対してドイツが怒り、露仏同盟によりフランスが、英仏同盟によりイギリスまでが参戦していった。各国で、志願兵たちが長蛇の列をなし、そういう人たちの「やっちゃえ、やっちゃえ」の声がどんどん高まっていった

反戦運動家は売国奴として暗殺されたりしました。どの国でも、日常の漠然とした不満を解消しようとするかの如く、国民の戦意の昂揚は留まる所を知らなかったのです。

 サラエボ事件が起きた時点で、ヨーロッパの君主や首脳で、大戦争をしようと思っていた人は誰一人いなかった。主要国の間にはそもそも、領土問題もイデオロギー問題もほとんどなかった。ところが国民が大騒ぎした結果、外交でおさまりがつかなくなり、

大戦争になってしまった。民主主義国家であるがゆえの主権在民により戦争が始まり、その結果、八百五十万人が犠牲となったのです

 

 しかし、この第一次大戦に関しては『911アメリカは巨大な嘘をついた(ジョン・コールマン博士著:太田龍監訳者:株式会社成甲社発行)』には次の記述があります。

 

 情報宣伝術が最初に採用されたのは、第一次世界大戦の開戦直前、ロザミア卿およびノースクリフ卿の監督下、ロンドンのウェリントン・ハウスにおいてだった。

 ロザミア卿もノースクリフ卿も忠実なるフリーメーソンだった。秘密組織はウォルター・リップマン、エドワード・バーネイズといったアメリカ人専門家を派遣して情報宣伝術を練りあげ、大いに成果をあげた戦争に対して英国民がいだいていた憤り、拒絶感が戦争熱に変わった。同じことはアメリカでも生じた。情報宣伝の威力でヨーロッパでの戦争への参戦に・・・大反対していたアメリカ国民が突如、戦争熱に浮かされたのである。このように驚くべき逆転がいったいどのようにして生じたのだろう?

 答は言葉にある。つまり「心理戦争」として知られているものの中で、言葉をどのように利用するかである。

 

 この件に関する真偽は、私には分かりませんが、「湾岸戦争」へと世界を引きずり込んだのは、宣伝工作でしょう!?

以下に拙文《文系の方々も「理」の心を(7)(「朝まで生テレビ!」の「理」の欠如)》を再掲します。

 

 

 「湾岸戦争」は、自由クウェート市民との団体がアメリカの大手広告代理店「ヒルトン&ノートン」に依頼して「駐米クウェート大使の娘」をナイラと名乗らせ作成した「宣伝工作無くして、米国民は「湾岸戦争」の開始に賛成しましたか?

(「ナイラ」とのみ紹介された十五才の少女が、イラク兵士が嬰児を保育器から取り出して、「冷たい床の上に置き去りにして死なせる」のを目撃したと主張した。「保育器の報道」)

(これらの件は、拙文《暴君はフセインですか?アメリカではありませんか!》などをご参照下さい。)

 

 そして、この「宣伝工作」、「情報戦略」に目をつけた自民党広報部の世耕弘成参議院議員の働きについて、以下のホームページから引用させて頂きます。

http://asyura2.com/0510/hihyo2/msg/316.html

投稿者 寿限無の対象 日時 2005 年 12 月 07 日 10:39:01: yxg1LRZYQ.Ads

 

 総選挙によって小泉が圧勝した背後にあったのは、自民党による情報操作の勝利によるものだった。それは「月刊・現代」の11月号に特集記事で報告されたが、その記事のサワリの部分は次のようなものだ。


<引用開始>
「コミュニケーション戦略チーム」(以下、コミ戦)——。
  今回の選挙戦術において、自民党は結党以来半世紀にわたって培つちかってきた伝統的な戦術や常識を覆すような手法を初めてとりいれた。解散直後に、この「コミ戦」という特命チームを立ち上げ、後述するような戦略的な広報・宣伝活動を行ったのである。このチームを組織し、統率した責任者が世耕だった。
 世耕は、 98年に参院初当選を果たす前は、NTTでおもに広報畑を歩んできたサラリーマンだった。米国留学中に企業広報の学位も取得した、いわば「広報のプロ」だ。・・・

今回の取材を通じて選挙の舞台裏で起こっていた真実をつかむたびに背筋が寒くなる思いを幾度かした。実は戦略的に練り上げられた刺客候補のセリフ。同じく戦略的に仕掛けられたテレビ出演。・・・

 

 このような情報戦略によって国民は永遠に成熟しないという国民は、増々簡単に操られてしまうことでしょう。

 

 そして、藤原氏は、次のように記述します。

 

 民主主義、自由、平等には、それぞれ一冊の本になるほどの美しい論理が通っています。だから世界は酔ってしまったのです。論理とか合理に頼りすぎてきたことが、現代世界の当面する苦境の真の原因と思うのです。

・・・

 論理とか合理を否定してはなりません。これはもちろん重要です。これまで申しましたのは、「それだけでは人間はやっていけない」ということです。何かを付加しなければならない。その付加すべきもの、論理の出発点を正しく選ぶために必要なもの、それが日本人の持つ美しい情緒や形である。それが私の意見です。

論理とか合理を「剛」とするならば、情緒とか形は「柔」です。硬い構造と柔らかい構造を相携えて、はじめて人間の総合判断力は十全なものとなる、と思うのです。

 

 そして「論理」だけでは世界が破綻するとして、4つの理由も掲げていますが、これらについては、次章「国家の品格について(2」にて紹介させて頂きます。

 

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